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STEPHENS WORKSHOP

第9回ワークショップ 「ベケット公演『消滅する前に』の鑑賞」

2012年2月17日

於:Χカイレパートリー劇場(15:00~18:00)

参加者:Hirashige, Kobayashi, Minamitani

 

劇団 マウス オン ファイア サミュエル ベケット『消滅するまえに…』

 「ベケット後期に書かれた作品を、作者自身が残した演出ノートに基づき創出された 4つの“演劇詩”ベケット後期の作品を、本人が作成した演出ノートにより舞台化。アイルランドから気鋭の劇団 マウス オン ファイア 初来日公演。」

シアターX公式HPより)

 

後援:駐日アイルランド大使館

公演作品:「オハイオ即興劇」 「あしおと」 「あのとき」 「行ったり来たり」

演出:カハル・クイン

出演:メリッサ・ノラン、マーカス・ラム、ジェニファー・ラヴァティ、ニック・デブリン、ジェラルディン・プランケット

 

◆第9回ワークショップではベケットの公演「消滅するまえに…」(「オハイオ即興劇」 「あしおと」 「あのとき」 「行ったり来たり」)を鑑賞後、上映後のアフターミーティングまで参加し、ベケット後期作品の実験性と資質について検討した。

 

 

 

第8回ワークショップ "Barnard Bodley Bartleby"

2012年10月26日 

於:Cafe Miyama (14:00~18:00)

発表者:MINAMITANI

 

◆第8回ワークショップでは、スペインの作家エンリーケ・ビラ=マタスが提起した、書けなくなってしまう人々のグループ〈バートルビー星座〉に「写し」のファリントンを編入する試みを行った。この視点はかつてモーリス・ベジャとマーゴット・ノリスによって論じられ、Farrington=anti-Bertleby/scrivenerとして定式化されていたが、この関係性の見直しを行い、「写し」のみならずジョイス作品における語を反復させる技法に目を向けることで、「終わらない文」のシンタックスがテクストのなかで潜在的に構成されるさまを確認した。

 

◆参考文献

・ジョルジュ・アガンベン『バートルビー―偶然性について:附ハーマン・メルヴィル「バートルビー」

 高桑 和巳訳、月曜社、2005年

・Beja, Morris. "Farrington, the Scrivener:A Story of Dame Street." Coping with Joyce : Essays from the Copenhagen Symposium. Eds. Morris Beja and Shari Benstock. Columbus: Ohio State UP, 1989: 111-122

・Villa-Matas, Enrique. Bartleby and Co. Trans. by Janathan Dunne. London: Vintage, 2005.  

・Norris, Margot. Suspicious Readings of Joyce’s Dubliners. Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 2003.

 

 

第7回ワークショップ 「Shari Benstockの"Ulysses as Ghoststory"精読」

2012年8月3日 

於:10°cafe (14:00~18:00)

発表者:KOBAYASHI

 

◆シャリ・ベンストックの「幽霊話としての『ユリシーズ』」を精読した。本論は第9挿話についての分析でありながら、『ダブリナーズ』から『フィネガンズ・ウェイク』に到る亡霊の表象を網羅的に論じている非常に優れた論文である。その結論は  「スティーヴンの冗長な美学理論の下に埋まっているのは、ジョイス自身の創造性についての理論なのだ」("Buried under the prolixity of Stephen’s artistic theory is Joyce’s own theory of creativity.")と、ジョイスとスティーヴンを重ね合わせる古典的なものでありながら、学ぶところが大変多かった。

 

◆参考文献

Benstock, Shari. “Ulysses as Ghoststory.” James Joyce Quarterly 12 (1975): 396-413.

 

 

第6回ワークショップ 「Enda DuffyのThe Subaltern Ulysses第一章を精読する」

2012年5月29日 於:10°cafe (16:00~20:00)

発表者:HIRASHIGE

 

◆90年代に流行ったポストコロニアル批評の代表的なものであるEnda DuffyのThe Subaltern Ulyssesの第一章を精読することで、Duffyの批評史における位置付けについて議論した。実際のジョイスのテクストまで話が進まなかったため、次回以降に持ち越しの可能性もあり。

 

◆参考文献

Duffy, Enda. The Subaltern Ulysses. Minneapolis: University of Minnesota Press, 1994.

・ガヤトリ・スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』、上村忠男訳、みすず書房、1999年

 

 

第5回ワークショップ 「ジョイスの短編小説の技法ーFrank O' Connorの"Work in Progress"を読むー」

2012年3月12日 於:国立(13:00~)

発表者:MINAMITANI

 

◆第5回では「短編小説の名手」として名高いフランク・オコナーのA Lonely Voiceから、ジョイスの短編小説の技法の展開を論じた"Work in Progress"を扱い、ジョイスが彼の芸術を構築する上で短編小説を早々にあきらめ、長編小説に向かった理由を明らかにした。

 

オコナーは〈長さ〉においてヒーローとなる人物と対比的な、短編小説における「浮かばれない人々」(submerged population)の存在を重視するが、「蔦の日の委員会」と「恩寵」がジョイスに岐路を与えることになったと主張する。それらの作品は「浮かばれない人々」特有の鬱屈した(長く語る必要のない)世界に対する視野を、アイロニーの鳥瞰視点にまで高めてしまい、かつドラマティック・エピローグである「死者たち」がある〈長さ〉を必要としたことから、ジョイスは物語作者ではいられなくなってしまったというものである。タイトルが明らかにするように、書きながらそのスタイルを動的に発展させていくジョイスの姿を確認することができた。

 

◆参考文献

O'Connor, Frank. The Loney Voice. Cleaveland: The World Publishing Company, 1962.

Head, Dominic. The Modernist Short Story: A Study in Theory and Practice.  Cambridge: Cambridge University Press, 2009.

・ヴァルター・ベンヤミン「物語作者」、浅井健二郎訳(ベンヤミンコレクション『エッセイの思想』所収、1999年)

 

 

第4回ワークショップ 「Dublinersの"Two Gallants"と短編小説の技法」

2011年9月25日 於:CAFE MIYAMA渋谷公園口店(13:00~)

発表者:HIRASHIGE

 

◆エドガー・アラン・ポーに始まる短編小説論では、短編はその短さゆえに使われている単語、登場人物の動きなど、すべてがシンボルとして読まれる傾向があることを指摘し、それがジョイスのエピファニーとどう接続するかを検討した。材料としてDublinersから"Two Gallants"を扱った。

 

◆参考文献

・Ed. Johnson, R. Brimley. The Complete Poetical Works of Edgar Allan Poe : with Three Essays on Poetry. London: Oxford University Press, 1919.

Head, Dominic. The Modernist Short Story: A Study in Theory and Practice.  Cambridge: Cambridge University Press, 2009.

 

 

第3回ワークショップ 「Ant and GantーHugh KennerのJoyce's Voices試訳」

2011年8月21日 於:国分寺喫茶店アミー(13:00~)

発表者: MINAMITANI

 

◆第3回では、ヒュー・ケナーの『ジョイスの複声』の南谷による試訳を検討し、それを説明できるようになることを目指した。ワークショップではp1.~p18までの議論を追い、ガリヴァーの法則からチャールズ叔父さんの法則までの語りを、それぞれの法則を特徴付ける「蟻」から「羽虫」への移行を追った。

 

◆参考文献

Kenner, Hugh. Joyce's Voices. Barkeley: University  of California Press,1978. Rochester: Dalkey Archive Press, 2007

 

 

 

 

第2回ワークショップ 「Ulyssesの"Wandering Rocks"におけるplace / non-place」

2011年6月25日(土)13:00~17:00

於早稲田大学文学部(戸山)キャンパス

発表者:HIRASHIGE

 

◆『ユリシーズ』の第十挿話「さまよう岩々」批評においてしばしば取り上げられるこの挿話の特徴―19の断片と挿入節、『ユリシーズ』における中心性、キャラクターの移動―に着目し、ジョイスのダブリンは文化人類学的なplaceとフランス文化人類学者のMarc Augéが言うところのnon-placeの間で揺れていることを確認した。

 

◆参考文献

・Augé, Marc. Non-Places: Introduction to an Anthropology of Supermodernity. London: Verso, 1995.

・Duffy, Enda. "Disappearing Dublin: Ulysses, Postcoloniality, and the Politics of Space." Semicolonial Joyce. Eds. Derek Attridge and Marjorie Howes. Cambridge: Cambridge University Press, 2000. 37-57.

 


第1回ワークショップ 「ふたりの主人」に仕える「召使い」と母の亡霊

2011年4月30日(土)13:00~17:00

於早稲田大学文学部(戸山)キャンパス近く喫茶店カフェ・ゴトー
発表者:KOBAYASHI

タイトル: 小林の修士論文(第二章)~「ふたりの主人」に仕える「召使い」と母の亡霊~の検討会

 

◆今回の小林の論文は、『ユリシーズ』の「テレマコス」と「ネストル」に焦点を当て、スティーヴンの政治性を抜き出そうという試みである。スティーヴンは『ユリシーズ』の最初の3章において、以下のような自己意識を持っている。  

①「ふたりの主人」に仕える「召使い」としての自己意識

②母の亡霊に取り憑かれた、無力な者としての自己意識

③「教師」ではなく、「学ぶ者」としての自己意識

本サイトのタイトル通りStephenに関心のある3人なので、有意義な議論ができたように思う。

 

◆参考文献

・Esty, Jed. ‘The Colonial Bildingsroman: The Story of an African Farm and the Ghost of Goethe.”  Victorian Studies, Victorian Studies 49. 3(Spring 2007): 407-30.

Gifford, Don. Ulysses Annotated: Notes for James Joyce's “Ulysses.” With Robert J. Seidman. 2nd edn. Berkeley: University of California Press, 1988.

・Morrisson, Mark. ‘Stephen Dedalus and the Ghost of the Mother’ Modern Fiction Studies 39 (1993): 345-68.

高橋渡 「ジェイムズ・ジョイス――ポストコロニアル小説としての『ユリシーズ』」 『英文学の内なる外部』 山崎弘行編、松柏社、2003年